歌舞伎座2022その12022年06月25日 20時34分

外出する機会を作ろうと心がけているが、体力の衰えを一段と感じるようになった。 毎日の朝の散歩は、現状の体力が一日でも永く続くようにの思いがモチベーションになっている。また、コロナ禍以後JRやバスを乗り継いでの旅行は皆無である。そして、半年ぶりの歌舞伎観劇をすることになる。  今年は空梅雨なのか、雲が垂れる事はあるが降雨までにはならない。新幹線は乗車率がほぼ100%で車内販売もやっている。車内での飲食は旅の楽しみの一つだ。東京駅に降り立つと蒸し暑い。体力を消耗しないようにタクシーで宿まで移動。以前は地下鉄などで移動していたが、タクシー利用の方が格段に良い。 昨年末よりも人通りはかなり多い。コンビニに入っても以前ほどのコロナ対策はない。歌舞伎座は、座席数制限と三部制は残したままで、幕間の飲食も復活していない。幕間の飲食は観劇の楽しみの一つであるが、閉じられた空間なので施設側としては一回でもクラスター的なものが発生すれば大変重大な諸問題が発生するのでもうしばらくは私たちも我慢と言うことか?  二部の『信康』から観た。信康役の染五郎と家康役の白鴎という孫と祖父という関係の共演だ。染五郎は十代での大役だが次世代の歌舞伎を自ずと背負う立場にあるので今後も色々な難役に挑んでいってほしい。次の鳶頭役の梅玉と手古舞役の莟玉も養父と養子の関係での共演になる。梅玉は体調不良での休演からの復帰であるが舞台での存在感が大きい。役者は舞台で独特のオーラを発するものと思う。  三部の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、本来与三郎役の仁左衛門とお富役の玉三郎で『与話情浮名横櫛』が演じられることになっていたが仁左衛門が頭皮に帯状疱疹が発症し、舞台に立つのに必要なかつらをつけることができず、休演という事で急遽の演目変更で主演芸者お園役の玉三郎の意思が強く感じられる演目であった。役者それぞれの表現が新派的で歌舞伎の演目としては個人的には少し異質の感覚がわいた。  外に出ると雨が降る気配はなく、軽めの夕食をとってから宿に帰った。長時間椅子に座った疲れが残った。  翌日は、宿近くで火災報知器が鳴っている音で起きびっくりしたが、誤報だったようで安心した。  私は、一部を観劇したが、妻はアフタヌーンティーをいただくということで別行動になった。一部の最初『菅原伝授手習鑑 』の『車引』は歌舞伎の定番演目なのでいわゆる様式美を堪能した。次の澤瀉十種の内『猪八戒』は澤瀉屋特有の様式美への落とし込みの面白さに注視してみた。猪八戒役の猿之助のひたすら感が伝わり感激した。  夕食は、ワイン酒場を予約してあったので妻とおいしいワインと食事を味わった。  二泊三日の間雨が降らなかったのはありがたい。チエックアウトが午後一時だったので部屋で映画を観てゆっくり過ごしてから帰途についた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://syochan.asablo.jp/blog/2022/06/25/9503301/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

Sample1 <BODY> <!-- フレーム未対応ブラウザのユーザーへの対応のためのHTMLを記載する --> フレームに対応したブラウザでご覧ください。 </BODY>